異文化コミュニケーション寓話
あるところに一神教を信じるイッシン君と、多神教を信じるターシン君がいました。ターシン君は最近イッシン君の近くに越してきたので、ターシン君に興味津々です。
イッシン君は多神教はダメだと大人達から教えられてきましたが、お互いとことん話し合えばきっとわかりあえるはず!なんなら多神教のいいところもどんどん取り入れていきたいと思っています。
ターシン君はこれまで異教徒と付き合うのは特に問題はないと思っていますが、教義についての根本的な理解は無理だと思っていましたので、とりあえず波風なくイッシン君とおつきあいしたいと思っていました。
ターシン君は一神教の神を貶める必要もありませんし、自分の教義に反しない限りはイッシン君のやりかたにつきあうのも問題ありません。
ある日、地域のみんなで使う集会場を建設することになりました。イッシン君はこのプロジェクトのリーダーに決まり、ターシン君に協力を依頼しました。ターシン君の見識も参考にすればきっとこのあたりで一番の集会場ができるはずです。
ターシン君は以前にも似たようなものを多神教を信仰する地域で作ったことがあったので快諾しました。
さて、地域が違えば少しずつ建築手法も違うものです。またこのあたりはとても信心深い人達が住んでいるので、集会場と言えばあちこちになんらかの宗教色が出るのが当たり前です。
ターシン君は自分の経験の中から「こういうところを気を付けたほうがいいよ」と伝えられる限りのことをイッシン君に伝えます。ですが、地域が違えばやり方が違うため、ちょこちょこ意見の食い違いが出ます。
ターシン君は基本的には必要なことを伝えたあとはイッシン君の言うことをたてて、「イッシン君のやりかたでいいと思うよ」と答えていました。最終的に良い集会場が出来上がるならそれ以上の異論などありませんし、イッシン君はちゃんと考えて進めているようです。
あるときターシン君が間取り図を見ていて、「ここは入りぐちの向きを変えないとそれぞれの部屋への導線が悪くなると思うよ?」と言いました。
イッシン君は「いや、ターシン君の言う方向に入口をつけると西向きになる。僕らの宗教ではできれば東向きに入口を付けるのが通例なんだ」と言いました。
「それは決まりなの?導線が悪くなると思うんだけど…」
「絶対じゃないけど… 僕は東につけたいし、僕は導線が悪くなるとは思わない」
「リーダーのイッシン君がそこまで言うならきっとそうしないといけない理由があるんだね。ここは多神教の施設じゃないし、じゃあ僕もそれでいいよ」とターシン君は答えました。
数週間後、棟上げをして確認したところ、やはり導線に無理があることがわかりました。結局ターシン君が最初に言った西向きの入口へと変更がされました。
プロジェクトは進み、内装の整備が始まりました。
集会場の大ホールはみんながあつまる大切な部屋です。ここにはみんなが喜んでくれるようなかざりをつけたいとイッシン君は思いました。
ホールの壁を指しながらイッシン君は「ねぇターシン君、ここに僕はレリーフをつけたいと思うんだけど、ターシン君にお願いしてもいいかな?」と言いました。
そういわれたターシン君は不安でした。「でも、こんな大事なところを僕が作っちゃっていいの?集会場に来た人がみんな一番に見るところだよ?イッシン君がデザインしたものを僕が形にするほうがいいと思わない?」
ターシン君がデザインから全て行えば、それは当然多神教の影響が出ます。でもイッシン君がデザインしてくれれば、イッシン君が考えたものをターシン君が一神教のレリーフとして美しく作り上げることができるでしょう。
「いや、僕は他の事で忙しいし、ここはターシン君におまかせするよ!」そう言ってターシン君は他の仕事をしに行きました。
ターシン君はそれなら僕ができる精一杯の仕事をするか、と心に思いました。
ターシン君はその後何週間も頑張って試作品を作りました。まだ粗削りなところはたくさんあるけど、これでターシン君が作ろうと思っているものの方向性はわかるはずです。
ターシン君の作ったそのレリーフには、真ん中に一神教の神様の姿を入れました。そのまわりに大小様々な人がちりばめられていました。
いろんな職業の人が集まる集会場ですから、老若男女をとりまぜ、色々な職業や立場の人の装飾をほどこしたものです。たくさんの人の顔をいれたので、小さく、数人ほど多神教の神様の顔も入れました。
縁取りにはこの地方の植物と、ターシン君の地元の植物を合わせて融和を表現したりして色々な工夫を施しました。
ターシン君はそれを見たイッシン君が反応がどんなものになるかキドキしながら、レリーフを予定の位置に取り付けました。
イッシン君はそれを見ると「ふーん… ありがとう!ちょっと僕もここに合うレリーフはどんなものか研究して、それも合わせてみて考えるね!」とこたえました。
タッシン君はイッシン君があまり喜んでくれていないように見えたので少し残念でした。でもイッシン君が研究してくるというので、その意見に合わせて直そうと思い、どんな意見を教えてくれるのかずっと待っていました。
時々イッシン君からは「こういう技法がいいと思うんだ」「光の加減もあるから全体的にこちらに向けたほうがいいと思う」というお話が来ましたが、直してください、とは言われなかったのでターシン君は待ち続けました。
数週間まったあくる日、イッシン君が戻ってきました。「ターシン君!この間のレリーフありがとうね!」
ターシン君はレリーフを早く完成させたかったので、ずっとやきもきしながら待っていました。ようやくイッシン君の意見が聞けると思って楽しみでした。
ところが、イッシン君の手にはターシン君の作ったのとは全く違うレリーフがありました。「今回はこれを使おうと思うんだ!ターシン君のレリーフもよかったけど、僕が作っちゃったほうがはやかったからさ。悪いんだけど、僕の作ったこのレリーフ、ターシン君も確認してみてくれる?」
ターシン君はびっくりしました。
ターシン君が作った様々な人達の顔は全て作り変えられて、全部一神教の天使たちになっていました。丹精込めて作ったターシン君の地元の植物たちはすべてこの地域のものに入れ替えられていました。
ターシン君が一番悲しかったのは小さく作ってった多神教の神様たちの服装はそのまま、顔だけ一神教の神様の顔に変えられていたことです。
「ここにターシン君の多神教の神様たちがいたのを気づいたんだけど、ここにはやっぱり一神教の神様じゃないとダメだと思うんだ。」
イッシン君は続けます「でもターシン君の作ってくれたレリーフのできはよかったから、その服装だけ参考にさせてもらって、顔は一神教に変えさせてもらったよ。これならほら、双方のいいとこどりだろう?」
ターシン君は混乱しました。
任せてもらった仕事なのに、これではまるでターシン君の作品ではありません。
「イッシン君… これは、僕は全然うれしくないし、これだったら僕がやらなくてもいいんじゃないかな」とターシン君は言いました。
今度はイッシン君がびっくりする番でした。ターシン君の作ってきたレリーフはよかったけど、イッシン君が思っているのとは違っていたし、細部を細かく見ていったらこの作り方ではいけないと思っていたので直す必要があったのです。
「だって、色々直す必要があったから僕がやったほうがはやいと思ったんだ。それにほら、ターシン君の神様もまだいるよ?そのままだとまずいと思ったから顔だけ変えさせてもらったんだ。」
イッシン君はターシン君の作品を少しでも受け入れて残そうと思ってやったことでした。
ターシン君は言いました「イッシン君、これはもう僕の神様たちではないよ。」
ターシン君にとっては自分が大切にしている神様の服装だけ残っていても、顔を入れ替えられるなんてとても罰当たりなことです。
ターシン君は「これだったら、最初からこの神様たちを入れてはいけない、って教えてほしかった。ううん、最初から僕に作らせないでほしかった」
「ごめんね」イッシン君は言いました。
「うん、いいよ。でも最初に言ってほしかった。」ターシン君は言いました。
「次からは気を付けるよ。… じゃあ改めてこのレリーフ、確認してもらってもいい?」イッシン君がそういうのでターシン君は、自分の作品でないなにかを手に取って見始めました。
「うん、とてもいいと思う。この右端の鳥の形が気になるかな」
「わかった、なおすよ!」イッシン君が答えます。それから何個か少しバランスがおかしい人や植物の形を指摘しました。イッシン君は一生懸命聞いて直してくれると言います。
ですが、ターシン君はやっぱりひとつだけどうしても気になるところがあったのでイッシン君に切り出しました。
「ねぇ、イッシン君。このもともと僕の神様だったもの達だけど… ここ、やっぱりもとの僕の神様たちの顔に戻してくれるかな。もしそれがダメなら、一神教の神様の顔じゃないものにするか、ここの人をなかったことにしてくれないかな。ここだけはどうしても気になるんだ」
ターシン君は、やはりどうしても自分の神様を変えられるのは許せませんでした。多神教の神様たちがこのレリーフに入ってはいけない、と言われてもよかったのですが、変な形に変えられるのはいやだったのです。
「どうしてだい?ここの位置に神様がいるのは一神教では意味があることなんだ。きっと会場に来た人たちも喜んでくれる。それにターシン君が作ってくれた人物たちはとてもいい服装じゃないか。ターシン君の作品を参考にした部分をぜひ残したいんだよ」イッシン君はいいます。
イッシン君は多神教の事はわかりませんが、ターシン君が気にしていることならなるたけ取り入れてあげたかったのです。でもそれには自分がまず納得しないといけません。そのあとも何回も質問してなんで?どうして?と続けました。
どうしてだいと言われてターシン君は困ってしまいました。これを他の多神教の人が見たらきっと嫌な気持ちになるのはターシン君にはわかっています。
イッシン君は多神教のいいところも取り入れたい、という気持ちだけで質問していたのですが、ターシン君はイッシン君が自分で多神教の神様を入れるのはダメとは言わず、ターシン君自身に「わかった、君の言う通りでいい」と言わせたいのだと思いました。
ターシン君はあらためて「ごめん、もうこの集会場の建設は手伝えないや」と伝えました。
「え?!なんでだい。」イッシン君も傷ついていました。そしてこう続けました「ここにいれる顔なんて僕には本当はどうでもいいことなんだよ。話し合えば解決方法を見いだせるんじゃないかな?」
「そうだね、本当に『どうでもいいこと』だね」と言いたいのをぐっとこらえてターシン君はそのままその場所から去りました。