知識の探求について
ipse se nihil scire id unum sciat
今運営している技術カンファレンスのテーマは「知らなかった、を聞く」だ。
自分は知らないことが多い。
本を読んでも読んでも、次から次へ知らないことが出てくる。
表面的には知っていても、なぜそうなのか、そこに至るまでの道のりがなにであったのか、は全くと言っていいほど知らない事柄が山のようにある。これらを知りたい。
たとえば自分は幼稚園から小学校一年くらいまではカトリック系の学校に通っていて、毎日の授業は「アーメン」から始まり、聖書の勉強もした。そして主に欧米のキリスト教を中心とした文化の中で暮らしてきた。
しかし、数年前、「あれ、キリスト教とカトリックというのはどういう関係なんだっけ?プロテスタント?コプティック?」という感じで、自分がカトリック=キリスト教としか認識しておらず、それ以外の宗派がそれぞれどういう違いがあって、どういう関係性があるのか、ないのか、全くわかってなかったことに気づいた。
20年以上もキリスト教の文化圏で生きてきてこれだ。だからそのあたりの本を読むことにした。
本をひもとくと、キリスト教の歴史は欧米の中世と密接な関係があることがわかってきた。ん?しかし中世とは?子供の頃聖闘士星矢が大好きだったから、ギリシャ神話はよく読んだ。でも中世のキリスト教ではこの神話は邪教のものであり、教えてはならないものだったらしい。それではその神話達はいつ廃れたのだろう?
そうして更に本を読んでいくと、ギリシャの隆盛は紀元前七世紀から三世紀あたりであるという。ああ、ここにローマ帝国がはいるのか!!ずっとその存在は知っていたが、やっとここにはまる、実在するピースとしてローマ帝国という物が認識できた。
そこから、ローマの歴史、キリスト教の台頭、ローマ帝国の崩壊、イスラムの台頭、中世の国家の成り立ち、これまで聞きかじった事のあったキーワード達「マグナ・カルタ」「カノッサの屈辱」「アレッポ、ダマスカス、アンティオキア」「十字軍」等、とピースがはまっていき、ようやく最初の問いであった、キリスト教とその宗派の関係性、確執、世俗への影響についての理解につながった。
前置きが長くなったけれども、この例のように頭に浮かんだ疑問を突き詰めていくと、そのあとからあとから次の知らなかった、が押し寄せてくる。
知らなかった、を一つ一つ埋めていくことでようやく、またもう一つ先の知識とつながり、繋がりがおぼろげにも確定したときにようやく元の問いに答えられるようになる。
40歳になってもまだ、知らないことが次から次へでてくる。
いや、むしろ、自分が知らないことを自覚して、受け入れることができた、30歳すぎになって、ようやく自分が知ってることより知らないことのほうが多く、多分死ぬまで勉強をし続けるしかない、という事実を理解できたと思う。
だが、怖い。永遠に知ることが尽きない、というのは世界の果てに何があるのかを知らないで死ぬ運命であるのと同じだ。だから知りたい。
buildersconは「世界の果てについて教えて欲しい」という気持ちの発露なんだと思う。