今は中世か!と衝撃を受けたのでレインボープライドに寄付した
あまり政治的な話を書くのは好きじゃないのだけど、思うところあって今後は自分のできる範囲で積極的にLGBTQの方達に対する理解を広めるための活動に協賛したいと思う。
先ほど少額ではあるが、レインボープライドに寄付することにした。都合が合えば来年以降はパレード等にも参加したい。
以前も書いたことがあるが、自分のことは「弱腰リベラル」と認識してる。強い政治主張は持っていないが、基本的に他人に迷惑をかけないことなら、各自が幸せになるようそれぞれの生き方ができる方向に社会は緩やかに変わっていくべきだと思ってる。
ただ、自分はいわゆるcisで子持ちで直接的なアクションをとる必要性はいままで薄かったので、精々なにかのルール策定するときは配慮したり、選挙等でもわかる範囲でそのあたりを気にしてるっぽい候補に投票する程度のことしかしてなかった。
そんな中この記事に出会った。
このバチカンの教育省が発行したという文章は、要約すれば「現代における『性別は男女の二元に限らない』とする価値観は伝統的な家族のありかたを脅かす、『感情』や『欲』に駆られた不自然でいびつな形である」とし、カトリック教会の教育機関ではこの書類に則った「人間の真のあるべき姿」を教えるべき、とうたっている。
僕の要約が100%正しい、とは言わないので、是非皆様も原文を自分で確認して欲しい。
原文はこちら。31ページと長いので注意。
カトリック教会がその中でLGBTQを認めないのは自由だと思う。つまり「LGBTQをカトリックとは認めないので破門する」はまぁ、わからないでもない。コミュニティの構成員は自らの価値観で選んでもいいだろう。
しかし、一般論として他人のあり方を「不自然」「いびつ」と断じる文章を21世紀に出すということは信じられない。
これは現代においてありえないレベルでの断定的、独善的、排他的な論調ではないだろうか。そしてなによりそれらを一切の具体的な証拠もなく、神の言葉を借りて決めつけ、断罪していることに純粋な恐怖を感じた。
ここは中世か!俺たちはルネッサンスを経て膨大な知識を得た現代人じゃないのか!
バチカンのこの手の排他的なスタンスは今に始まったことではないが、今回この記事が特に自分に影響があったのは、自分が子供を持ったからである。
自分の子供達がどのような人間になるのか、それはわからない。
彼らは性の面においても親の僕らとは違う価値観を持って生きていくことになるかもしれない。
その可能性は髪の毛の質や肌の色が違う、というくらいの当たり前さで誰にでもあるはずだ。
それを子供たちが自ら認識したとき、他人に生き方や個人の人生のあり方、そしてその価値を、原理主義で決めつけられるような世界になってほしくないのだ。
社会の仕組みはは個々人の生き方を良くしていくために日々変化さていくべきではないのか。変わって欲しい。
だから、いままで消極的にしかサポートしてなかった活動に無理のない程度に積極的に参加することにした。
僕の子供たちが大人になったその時の彼らの生き方は社会全般のメインストリームではないかもしれない。それでも幸せに、ひっそりと生きていくことを許してくれる世界であってほしい。別に彼らがそれで幸せならそれでいいはずだ。
逆に彼らがメインストリームの立場なら、マイノリティをはっきり指示しなくても最低限当たり前のように共存できる心をもって欲しい。
そういう世界を残せない場合、とてもじゃないが子供たちを残して心安らかに先に死ぬなんてできない気がする。
というわけで、偽善的といわれようがなんだろうが、子供たちのために寄付をしていきたい、という表明でした。